トップへ
トップへ 暇人協会とは 会員紹介 活動記録 暇人の著作 メール LINK
■2009/04/2〜6

入川源流 柳小屋

参加者:新発田(暇人)、金田(暇人)、木田(金田友人)

2009年3月、、、。
春を待たずに会社を辞めてしまった私は本当の「暇人」になってしまった。

そういえば昔「私はこれで、会社を辞めました。。。」という禁煙パイポのCMが大流行していたのを思い出す。
人生の内に何度も来ないと思われる長期の休み。これをどのように使うべきかを考えるのは贅沢の極みではなかろうか?
それにしても、南から桜前線が冬を北の彼方へと押し上げてはいるが、北陸も東北もまだまだ雪に埋もれている4月というのはなんとも中途半端な時期の休暇だ。したがって遊び場の選択肢は必然的に限られていく。
しかぁぁぁぁし!!源流に魅せられた男たるもの、細かい事は気にしないものである。たぶん。
そんなアホな私に賛同してくれるのは、友人の木田ちゃんだけだった。
その彼は今まで定職に就いたことがないからびっくりする。
三人寄れば文殊の知恵とは言うが、プー太郎二人では何にも出ない。オナラも出ない。ましてや金も車も何にも出ない。
何にもなになら何にもないで、行けるところに行ってから後の事を考えよう、というアホの先走りで柳小屋行きを決定させた。

さぁ後は始発の電車を待つばかりだった。
でも待てよ?何か忘れている気が、、、、、、、、
そうだ!暇人会の岩トレがある事を忘れていた。まずは確認、確認とトレーナーの新発田さんへ電話をした。
この一本の電話が俺たちプー太郎組にとって思わぬ幸運になろうとは今考えても面白い。
電話口に出た新発田さんにさっそく岩トレの事をたずねると
「う〜ん、天候も悪くなりそうだし。今年はみんな忙しいみたいね。はぁぁぁ」
と肩を落としていた。しかし俺たちプー太郎組としてはまたとないチャンスでもある。
岩トレが延期になるという事は、暇人会の暇人である新発田さんも暇人継続って事だ。
すかさずお誘い。新発田さんが来てくれるのは心強い事この上ないと信じてお誘い。
新発田さん側で幾度かの確認がなされ、幾分かの時間が流れ、、、、、
メンバーはめでたく源流ベテランの新発田さんを含む3人となった。
さらに新発田さんは僕等が這いつくばっても得られなかったお車様をご所持なされており、「そのお車様でいくべぇ」とありがたきお言葉を仰ってくれていただいて頂戴仕る候ではないか!
はーぁ!暇人の神様仏様!目いっぱい遊んで来いって事ですね!!
そして翌朝、一週間分の食糧と装備を詰め込んだバックパックのプー太郎二人は大宮へ向かうのでした。

 

4月2日早朝 大宮7時集合、、、予定、、、はず?
さっそく新発田さん、1時間の遅刻。
僕たちの到着報告電話で起きたのではないかという疑惑も残りつつあるが、そこは男源流師!追及は焚き火の前だ!
そして間もなく大宮一の荷物を背負ったプー太郎二人は、朝からヨシギューとマックをハシゴし、通学する小学生の話題となりながら新発田さんと無事合流をした。
さらに昨日までの悪天候も好調の兆しをみせ、今年初源流=爆釣の妄想はいやでも膨らむのである。

「花園インター」、、、なんて美しい名前だ。この名前ですでに気持ちは上がる。
もうなんでも楽しくなってきているアホな私である。
「花園インター」から140号をひたすら西へ。
新発田さんのお陰で程よい時間に到着できた我々は、途中大きなスーパーで秩父地元の日本酒とその他酒(暇人会の命の水)も無事にGETでき、これで夜の宴会もばっちりだ。
入川管理釣り場に車を置き、案内板に書かれている通り4時間強のアプローチの後に柳小屋が現れる。
プー太郎二人は「柳小屋=釣れる」なのだが、新発田さんは「柳小屋=釣れない」らしい。
そんなこんなの話をしながら標高800m〜1250mの登り降りを繰り返し、一向に近づかない柳小屋を夢見ながら足はガクガク、登山道は10か所以上も崩落し余計な緊張感が体力を奪っていく。

崩落個所はいつまた崩れてもおかしくなく、何か起きたのか10か所の内3か所は大崩落アルマゲドンしていた。


 

 

「こんな道は登山道と呼べないだろう」とか
「逆に里山釣り師が入れないから爆釣じゃね?」とか
「じゃ、こりゃ小屋ずっと貸し切りかもな?」とか
「岩魚君増えすぎて川からはみ出ていたらどうする?」とか、、、
三名の男源流師はプラス思考全開でも、足はガクガクである。
崩落現場で時間がかかり柳小屋に着いたのはすでに夕方だった。
昼間の温かさとは裏腹に、太陽の恩恵がなくなった柳小屋1130mは急激な冷え込みで釣りどころではなく、岩にも橋にも氷の膜が張り付いていた。

 


こんな寒いのに岩魚君たちは健在なのだろうか?ぱっと見、川からはみ出ている岩魚はいないようだが、、、。

 


本当の暇人である我々には時間がたっぷりある。岩魚君との戯れは明日にし、さっそくビールで乾杯した。


そして日本酒でも乾杯した。
それから焼酎でも乾杯しながら薪集めに精を出し、小屋前の広場を快適に改造しながらほろ酔いの新発田さんは「渓の暴走シェフ新発田氏」へと順調に変身し、僕等はその料理で舌鼓を打ちまくった。

 

?

翌朝
氷点下の冷え込み。
新発田さんは寒くて眠りが浅かったらしい。
今の時期小屋だとは言え厚手のシュラフでも背骨が冷える。
昨晩の宴会が後を引いたのか誰も起きてこないので、早速一人で小屋前の溜まりに一投。すぐに20センチほどの秩父岩魚君がぶら下がって来た。


 

岩魚君健在!!!感激!!!
ポイっとリリースした頃には通常状態に戻った「シェフ新発田氏」の朝食を流し込む。でも目は、竿と沢を行ったり来たりしていた。
今日すでに何曜日なのか気にしなくなっている暇人男源流師三名の計画は、他の釣り人が来るかもしれない週末前までに、有名な千条の滝まで行こうという事で真の沢に入った。
さすがに登山道が大崩落しているだけあって釣り人が来なかったのだろうか?小屋前から小型岩魚君達がぽつぽつ釣れ、淵では必ず2~3匹の小型岩魚君が釣れていく。

 

しかし、行けども行けども小型岩魚君ばかりで食べごろサイズが出ない。なんでだ?
いくら釣り人が少ないとは言えそこは秩父、関東圏内ってことか?
もう少しシビアな釣りをした方が、、、、とあれよあれよと面白いポイントの多い真の沢で「あっ」という間に午後一時。

 


なんと!小型岩魚君達に翻弄され千条の滝まで辿りつけなかったのだ。

まぁ小型とはいえ三人ともある程度釣れ、その内の2尾だけキープさせてもらい、いったい千条の滝はどこにあるのか?という心残りを胸に仕舞い、崩壊進行中の登山道を登り降りしながら小屋に戻った時には既にお腹も空く時間だった。

 

 

帰路途中、3時くらいだったろうか?一人の登山人とすれ違ったが、彼は「本当は十文字峠を越えて甲武信ヶ岳まで行こうとしたんですが、もうこんな時間です し十文字峠の小屋で泊まろうと思います。」と言っていた。しかし、我々とすれ違ったその登山道は真っすぐ甲武信ヶ岳へと伸びている。
その場で彼と地図確認をすべきだったかも知れないが、崩れかけたきわどい登山道を進んできた我々にもそのようなゆとりはとっさに出なかった。

 


彼は無事エスケープできたのだろうか?心配だ。
そんな話をしながら始まったその日の宴会は、焚き火に岩魚というゴールデンコンビで必然と盛り上がり、持参した酒の2/3を飲み干してしまった。

 

3日目
今何時なんだろう?隣で唸り声が聞こえ、たまに「頭いたいぃぃひ」という声まで聞こえる。
昨晩の痛飲で三人ともグロッキー。水がほしい。
8時頃なんとか一人で起きだし今日の準備を始めていたら、新発田さんもモゾモゾと起きだして来た。
もちろん昨晩の宴会が応えているらしい。が、新発田さんは起きだしですぐに朝食を作り始めた。
さすが山岳人である。
それにくらべ昼の12時頃まで起きなかったという木田ちゃんは情けない。
前日までの疲労と痛飲で休肝日にしたいという二人を残し、一人で股の沢へ出かけた。
昨日同様、小型岩魚君がポツポツとポイント毎に釣れていく。


途中3か所の大滝があり高巻きを強いられる個所があったが、これが非常に危なかった。
道を知らない私はその内の一か所でくの字に曲がった滝と滝の間はまってしまったのだ。
震える膝を抑えながらザイルにカラビナを結んで上の木に投げてみたりしたのだが、そんなルパンみたいな事が出来るわけでもなく、今にも滑り落ちそうな危な いスタンスでまたザックにザイルを仕舞い込み、落ちたら未知の滝つぼを泣きそうになりながらクライムダウンで切り抜けた。


他の2か所でも、新発田さんにザイルを借りていなかったら結構たくましい事をしなければならなかったかも知れない。
正直、怖さを思い出させてくれた一人釣行となった。


それでも真の沢に比べてザイルワークと技術は必要だが、股の沢は面白い。
この日の釣りでも食べごろ25センチが出なかったので、全てリリースした。
息を切らして手ぶらでテン場に帰ってみたら、昨日までよりも完璧に仕上がった宴会場に岩魚が4尾並んでいた。


なんと12時まで寝ていた木田ちゃんが、ちょっと行った先の淵一か所だけで1時間ねばって次々と6尾の岩魚君を釣り上げたらしい。
釣りはいろんな楽しみ方があるもんだ。
その日の夕方から雨が降り始め焚き火もできず、昨晩の痛飲が効いているのか、三人共さすがに酒が進まず7時には寝袋に入った。
明日の天気はどうだろうか?

 

4日目
天気はピーカン!寝不足も解消!体も軽い!
今日はアプローチの長い沢に行こうという事になり、下田顧問に教えていただいた地図には載っていない道を探した。
噂によると、35年前〜20年前というスパンの長い情報だそうだが、意外としっかりした道が隠れていた。さすがだ。

 

 

 

 

 

 

 


我々三人は、下田顧問が教えてくれた道がそのままある事に感動しながらその大荒沢へと急いだのだが、途中の一か所で道をロストしてしまい山人生初めてのリングワンデリングを経験した。
最初自分たちが付けた目印を見つけた時には、ハッキリ言って信じられなかった。
まさか、、、似たような目印じゃないの?と。
しかし、確実に同じ場所に戻ってきているのだ。
山での遭難はこんな単純な事で起こりえるから恐ろしい。
三人共考えを出し合い、方向を定めるためにすぐそこにあったピークに登ろうという事で決定した。

 

ピークに着いた我々が見たのは、360度すべて崖になっているピークだった。しかもその一か所に目的のコルがあったのだ。


我々はそのコルへの崖も他の崖っぶちと同じ崖だと勘違いをし、ピークの上で一周してしまったのである。
コルへザイルを使い慎重に降りて見ると、何のことはなく先人達の目印があった。

 


後は沢に向かって降りるだけである。
降りた先には早速テン場跡があり、その先は大規模な崩落で沢全体が持ってかれていた。
いったいこの山全体に何が起きたのか?
去年のゲリラ豪雨の爪痕なのか?
崩落で沢が埋まっているのに岩魚君達はいるのだろうか?という一抹の不安を抱えながら遡行を開始。
真の沢で千条の滝に辿りつけなかった教訓を基にゴンザの滝までグングン進む。
岩魚君達にとって崩落は一つの災害かも知れないが、そんなの関係ねー!って感じで居そうな所には必ず居た。それもこの界隈で一番大きい奴等がいたのだ。
柳小屋に入ってから初めて食べごろサイズがポツポツ釣れていき、とても素晴らしいゴンザの滝を高巻いても尚、岩魚君はサイズを上げて平和に暮らしていた。
今日のキープ目標「25センチ岩魚を一人2尾ほど」が獲れたので後はリリース。

 


初めての沢って事で早めに帰路についたが、コルまでの大ザレを30分ほど急登しなければならず三人とも足はガクガク、岩魚は新鮮、気分は上々であった。


その日の宴会はもちろん盛り上がり、調子の良い焚き火を囲み、酒は飲みほし、食糧は使い切る大宴会へと発展しながら、ふっと周りを見るとヘッドライトが要らないくらいの月明かり。
ふらふらの足で空を見上げると、明るい月にその月と同じ色の「月暈」が真丸くかかっていた。
生まれて初めて見た。
とても広大で神秘的だった。

 

その隣で「明日は雨だ」と新発田さんの一言。
その前に、酒が無くなる事が暇人会の下山タイミングである。
明日は5日ぶりに下山する事で決定した。
どれくらいの時間がたったのだろう。
月が傾き、星が空を支配しだすと、焚き火の光が僕等を包んだ。
時計を見ると既に12時。
空が広い日は寒く、焚き火で温めている体の反対から冷えて行く。
最後の焚き火を満喫しながらシュラフへ潜り込んだのは何時だったのだろうか?

 

5日目 下山
昨晩の月暈発生とは裏腹に、天気はドピーカン!
さっそくパッキングし、5日間誰とも会わなかった事と、柳小屋の貸し切りと、好天気に恵まれた山行に感謝を込めて小屋と周りを掃除し、11時の太陽を浴びながらゆっくりと下山した。
帰りは温泉での恒例「体重計」だが、私はマイナス3キロ(いつもと変わらず)、新発田さんはプラス2キロ(?なんで?)、木田ちゃんは不明、という結果になった。

 

それにしてもあれだけ大規模な崩落。登山道が10mくらい削り取られている現場もあった。
上から崩れているので今年の梅雨過ぎには道が無くなってしまうかもしれない。
それでも関東圏内でたくましく生き抜く岩魚君達にまた会いたいものだ。


▲活動記録へ戻る
▲TOPへ戻る
▲ページトップへ