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■2009/04/21〜25

「栗原川」砥沢・不動沢釣行

参加者:新発田、金田

 

皇海山(スカイヤマ)は群馬と栃木の県境にある。私はそれが百名山の一つでああること、それに山名の読み方も分からなかった。2144mの山頂その北側は、日光の山々で、東側には足尾銅山があって渡良瀬川が近くを流れる。
今回、私たちは西側、栗原川上流に入った。源流釣りにはどこも時期的に早過ぎであり。そんな中、比較的雪が少ないこの地域と思ったのである。
林道の状況を調べると、全線開通予定は五月連休との事だった。それにもかかわらず根利集落側(南側)からは、もしや運が良ければ侵入出来そうと期待した。しかしゲートは開いてたものの、一時間も走ると落石や雪が残り走行不能となってしまう。

「あまかった!」13時半、徒歩となる。一週間をのんびっり遊ぼうと我ら暇人2名、その分たいへん重い荷物を背負い、林道を皇海山登山口方向へ向う。「この状況だと、誰も人は入ってなさそうだ」「爆釣(バクチュウ)かもしれない?」雨の中を期待だけはどんどん膨らむ・・・コモンS氏よれば、これを『とらぬ狸の皮ジャンバー』と云うらしい。肩に荷が食込み苦しい歩きになる。途中より砥沢入口のペンキ文字に従い杣道に入る。それから導かれる様に滞在地の皇海荘に16時15分、到着した。あたり一帯は昔の大集落跡地で不思議な雰囲気にさせられる。残った石垣の陰から和服姿の人達や、サーベルの音をさせた巡査が現われそうだ。

外観は青色でペラペラな感じのこの無人小屋だが。中に入ると何でも揃っており、ありがたい事にはダルマストーブも入っていた。外はまだ明るかったが薪に火をつけ始め夕食の準備となった。床は2名には充分すぎた。ただもう一度、虫の屍骸やネズミのフンを掃きとって寝床を整えた。

足尾鉱山は当時、大量の森林資材を必要とした。それは燃料でもあっただろうが、
(坑道が東京から長崎でまの距離に匹敵するとされ?)坑道を支える坑材が必要であり。足尾山系は尾根の反対側に至るこの栗原川や、北側の泙川でも森林を伐採し供給していた。したがって、ここ旧砥沢集落もおおいに栄えていた。なお、この小屋は根利の方や根利山岳会の人達によって大切に維持されている様に思える。

2日目。
朝から快晴だ。

我々は小屋の直ぐ前の砥沢にそって下流に行ってみた。右岸や左岸にそれなりの道が残っていた。1時間半で、半壊した古くて大きな砂防ダムが現われた。道は右岸に続き不動沢と合流するらしいが、先には行かず、引き返して釣る事にした。
竿を出せば爆釣の筈が、まったく反応がない(皮ジャンパー)である。「テンカラなど時期でない!」と餌釣りに変えてみが。それでもダメで、だんだん集中力が落ちて来た。大きな二段の滝にさし掛り、下のプールから私の竿に何だか!?魚信あり。大きそうだ。餌釣りは数年ぶりだし、我ながらどう抜き上げようか大岩の上で混乱してしまう。しかし、イワナはそれほどでもなく23センチぐらいであった。すぐに今度は上の滝で金田が尺物を釣り上げた。記念写真を撮ったと同時に手から滝壺に逃げてしまう。黒味かかった見事な面ガマエであった。


その後左岸より小沢が入り、金田はそこに入った。そこそこ良型が出たらしい。私はまたテンカラに替え小屋まで釣り上がったが無反応であった。

真夜中ストーブの火が消えかかり寒くて起きてしまう。外には鹿がケンケン我々を威嚇しているみたいでうるさかった。そう云えば、昼間、歩く目の前を暴走した猪にはびっくりしたものだ・・・「熊かと思った」。

3日目。
晴れだが北風でとても寒い。まるで冬だ。そのせいか雪解け水も少ない。小屋から出たくないほどで「どうする?」と、二人で顔を見合わす。
比較的釣果のあった小屋から下流の(昨日、金田が入った)小沢に行く事にした。出合から直ぐに滝が現われ、右岸に踏み跡があってそれで越える。もうすでに身体は冷えきり。ましてや、根がかりで手を濡らす度に指先がかじかんでしまう。薄着で来た事を悔やんだ。強い北風が仕掛けと竿をあおぐ。私は引き返す事にして前を行く金田に伝えた。
右岸のこの沢沿いにも集落があったらしく石垣があり、ご飯茶碗やガラス瓶を目にする事が出来た。もっとこまめに探したら骨董的価値ある物が出たかも知れない。それでも足尾医局と名の入った小瓶を拾った。また、鹿の角は滝を越える時におとしてしまう。ところで金田は滝を通らず左岸に道があったとかで、小屋に戻ってきた。
早めに酒を飲みながら夕食となった。小屋に置いてある滞在者ノートは大変面白かった。それと昔の砥沢集落の写真のコピーや、生存者の方の話を紹介しており興味深いもがある。
・・・またもストーブは夜中に消えかかり、私は薪を整え一時間も起きていた。

4日目。
晴れ。昨夜見ておいた滞在者ノートに従い。北にある不動沢に行く事にした。砥沢の(小屋の)反対岸も積み石が沢山残っており、墓石もあるらしい。ただし墓石は未確認だった。それから所謂、八丁峠だが、短いわりに急坂だ。峠に立つと四方が道みたいであり、そのまま北に下り降りた。不動沢にはあっと云う間に出てしまう。渓相はとても良い。また、なぜか期待してしまう。



私は今日は餌釣りに徹する。今夜の夕飯はイワナのすし巻きにする事になっていた。そして一匹が来た。その後も釣れて・・・私はサデストとなり絞めては袋に仕舞った。
途中、頭蓋骨付きの立派な鹿の角を見つける。角の片方もあれば良いと、思いっきり岩にたたき付けたのだが、カラコロと顎だけ取れて上手に外れなく、結局その場に置いて来てしまう。
その後、上流に行くと二股となり、直ぐに登山口が現われそうだ。左岸を進めば林道に出そうにも思えたのだが、ここでも古い道が出て来てしまう。広い牧場の様な広場も出て来て。そして八丁峠に戻った。小屋に近づく頃、薪のロールスロイス(ベンツだったか?)と云われる山桜の太い生木を持ち帰る。
金田はすぐに前日釣り上げた滝壷に行ってしまう。・・・そして「さっぱりダメだった」と、戻って来た。
今日も飯盒に3合を炊いた。白いご飯に寿司太郎を混ぜ、イワナの刺身に海苔を巻き贅沢に食べた。圧巻であった。
ダルマストーブの火の調整がやっと解って来た。酒に酔いつつ山桜の木をノコギリで挽き、今夜は朝まで保つ様に祈って、つぶれてしまった。

5日目。
雨。
あんなに連日、酒を飲んだのにまだアルコール類は残っていた。ビールも1缶あって、朝ビールした。
天気は数日悪そうだった。お昼までに体制を整え下山することにした。どうせだからと、砥沢を釣りながら詰め上がる事にした。それにしても砥沢はあまり釣れなかった。降り続く雨でザックも重く感じて来る。残雪が多く見られ、水に濁りも入って来て竿をたたむ事にした。


林道に出て、車まで着くのに2時間以上かかってしまう。
すっかり身体が冷えてしまい。暖房を入れても震えが止まらない。

老神温泉に直行し、お湯に浸かって生き返り、それはそれは極楽温泉であった。


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