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■2008/07/11〜14

早出川釣行

参加者:豊田・新発田(記)
天気:曇り・雨

前夜
天気は、徐々に悪い傾向になる。
新潟方面に向う車のガラスに雨があたり始めた。室谷集落を過ぎ林道の
車止めに0時頃到着。すでに一台停まっている。夜明けを待ち、
ワンカップ「麒麟山」を空けた。


1日目(曇り、雨)
寝過ぎてしまい、曇りの中を7時出発となる。
仮称ミウラ尾根(*)に取り付く山道が草木に覆われ分からない。間違って登ってしまい、3時間もロスしてしまう。一ノ俣の沢通しでは以前行った経験があり、そのまま進む事にする。雨は降り止まなくなる。長いナメ滝が出て、この先右岸より道が斜めに滝上に入る筈だ。そして、その道を確認する。だが、またも山道を見失い(ミウラ尾根から見下ろせる)滝に入り込んでしまう。雨の中をザックを下ろしザイルの準備をする。防水パックの奥で取り出すのに苦労させられる。初の早出川入り豊田にはキツいだろう?何度も声を掛けた。すでに彼はハーネスを付けていた。滝を見上げて左側を何とか登りきった。つぎに又同くらいの滝が現れる。直登は無理、少し戻り小沢に巻き道を求めると、見覚えのある道があった。「なんで今回はこの道から見放されるのだろう?・・」と思う。その後はなんとか順調に尾根を越えた。


17時、行動危険時間でもある。今早出沢はもちろんアカバ沢も増水し気分的に暗くさせられる。一段高いテン場に顔を向けると、一人の釣り人と声掛けする前に目が合ってしまう。
向うはまさか?この天気この時間に現れる我々に驚いた様子である。 (その後、大変お世話になってしまう)雨の中タープを張り、テントを設営する。食事準備もあり時間的にも苦しいところに・・・なんとバーナーが故障で点かないではないか!
我々はすでにフラフラで、おまけに私は腰に来てしまった。
とりあえず、お隣さんよりバーナーをお借りし早々食事を済ます。夜の空から雷と供に大雨になる。ブルーシートのタープが大きかったので、どうにか雨をしのげた。
テントの中で、やや進まぬ酒を飲みながら今後の作戦を考える。そして疲れて二人とも寝てしまった。


2日目(雨のち曇り)
雨は降り止まず、夜中じゅうロウソクの火を絶やさなかった。明るくなるのを待ち外に出る。タープ内側にも関わらず土が跳返り、靴やザックや食器等が悲惨な状況である。「今日は休息日だ・・」と、睡眠を継続する。
午後雨あがる。薪は本流に沢山流れ着いていた。
私は15時から下流の二重滝まで釣りに出た。水は少量の醤油を垂らした様な早出川色に戻っている。釣果は7寸岩魚1匹だった。
今夕は、焚き火を囲み、我々二人に昨日からの釣り師と一緒に話が弾んだ。その方は大宮市川口在住のM上さんで、豊野則夫氏の本を片手に各地の名渓巡りをするバリバリの単独釣行者だった。すでに3日前に入渓、1日が晴れて今早出沢の横滝まで行ったとの事だ。明日はガンガナシバナに同行しようということになった。


3日目(晴れ)
夜は冷え込み、ロウソクが切れて眼を覚ました。M上さんはタープとツェルトでばっちり決まったに見えたが、「寒くて眠られなかった・・」らしい。
6時出発。好天気で平水の今早出沢を軽快に進む。明日は前線が停滞し天気が崩れるらしい。ガンガラシバナを観られるだけで精一杯かも知れない。
我々は出来るだけ竿を出さない様にと歩きつづけ、横滝までは8時には着いた。
ところでM上さんは前日、この辺り右岸の支流にて竿を出すため、立ち上がる前方にて熊と遭遇してビックリしたそうだ。
横滝を越えると実に釣れそうな渓相である。M上さんはこれより先は始めてで、自身の頭の中には魚止め滝まで釣る計算の様だった。確かに距離はあるのだが、間もなく雪渓が現れ濁りが出てくる事を私は記憶にあった。
程よい辺りで竿を出す。交互に皆テンカラ釣りだ。しかし、どれも7〜8寸ばかりで、釣果は思いのほか少なかった。
長い雪渓が見え、陽の反射が眼にまぶしい。


幻想的とも云える大スラブと岩壁帯が迫って来た。
雪渓が途切れると右側から「ガンガラシバナ」前方(左側)に「魚返り滝」が観える。
10時半、皆ゆっくりと絶景を眺めた。なお、こんな上流にも岩魚を確認する事ができた。

帰路は横滝にて昼食をし、アカバ沢テン場に15時に戻る。
暗くなると、なんとかラジオで天気情報をキャッチする・・・大雨落雷洪水注意報!
明日は早朝、帰る事に決めた。
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4日目(雨)
夜も明けない内から雨模様。焚き火が消えぬ様にするが、あまりの豪雨 に耐えられない。今早出沢は大増水だ。
出発は降りしきる雨ではかどらず結局8時に、あまり軽くならないザッ クを担ぎテン場を出発した。
帰路は比較的分かり易く道を拾う事が出来 た。ただ梅雨時期の頃は草の生育が早い為か、あるいは入渓者が少ない 為なのか、 一ノ俣沢の下部は山道が消え非常に判り憎かった。ともかく 15 時、帰りもバテバテずぶ濡れでの下山であった。
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(*)ミウラ尾根=いつからか?我が会では一ノ俣沢の右岸の山道(杣道)をそう呼ぶようになる。途中、ブナの樹に『三浦』と鉈目が見られる。仮称で定かでない


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